郡山金魚資料館

創立者

嶋田正治   昭和60年不慮の事故の為没

沿 革

昭和57年7月
金魚水族館・民族資料、金魚の錦絵と古書展示コーナー・売店:落成開館

概 要

創立者、嶋田正治は昭和30年頃より金魚の生産地見学に訪れて来る小中学校や社会教育団体などに自営の養殖場を無料開放して説明役を務め、30年間で延約10万5千人の見学者を受け入れた。金魚のふる里に金魚に関する資料館もなく、憂いを感じながら資料館の建設は永年の夢であった。NHKの「明るい農村」に出演して語った構想をそのままに、100坪養魚池を埋め立て自費、手作りで着工して完成したものである。

金魚の民俗資料

時代の移り変りと養殖技術の改良等により金魚の養殖器具も古い物は捨てられ新しい物に変わる。これらの養殖器具の展示と保存を行っている。

金魚に関する古書、浮世絵、資料の展示

金魚が上流社会の愛玩用から庶民にも飼育、愛玩できるようになったのは江戸時代の1800年ごろと言われている。それに伴い浮世絵や俳句、小説の等作品にも金魚が登場してくるようになり陶器や民具にも金魚の姿が良く見られるようになった。展示中の古書、浮世絵の殆どは世界的な金魚研究家、故松井圭一先生が収集された貴重なもので、日本で最初に金魚について書かれている和事始(やまとことはじめ1683年)には 「元和年中( 年)に中国より堺の港に来た」と示されている。 日本で最初の金魚の飼育本「金魚養玩草 きんぎょやしないぐさ」、幻の大阪らんちゅうの挿絵がある「金魚問答 1903年 きんぎょもんと 」など貴重な文献を多数展示している。

お問い合わせ

〒639-1021 奈良県大和郡山市新木町107
電話:0743-52-3418 FAX:0743-53-3927
info@kingyoen.com

開館時間

10時〜17時 定休日:月曜


松井 佳一(まついよしいち)(1891―1976)

水産学者、魚類遺伝学者。山口県に生まれる。1917年(大正6)農林省水産講習所本科、研究科卒業。愛知県水産試験場、水産講習所技師、その間メキシコの水産技術顧問として国際協力、1958年京都大学理学部講師を兼ね近畿大学農学部教授、同白浜臨海実験所所長となり、近畿大学に水産学科を新設。国際学会でも活躍して、第二次世界大戦後の水産業と教育の振興に貢献する。研究業績は淡水魚や真珠など広範囲にわたるが、なかでも『日本産金魚の遺伝学的研究』(1934)は世界的に有名である。著作も活発で、『金魚大鑑』(1968)、『真珠の事典』(1965)など著書多数。また、金魚に関する内外の文献のほか、希書、書画骨董(こっとう)の収集家である。


大和郡山の金魚

金魚が日本に初めて到来したのは、足利時代(文亀2年・1504年頃)で、その頃の日本国内は動乱の時代で繁殖させることができなかった。徳川幕府が天下統一して平和になつた時代(元和2〜5年・1616〜19年間)に再到来したものが繁殖して現在に伝えられた。 郡山の金魚は柳沢吉保の子吉里が甲斐の国(山梨県)から大和郡山の藩主として国替りしてきた時に持ってきたと伝えられている。下級武士の内職として飼育していた金魚の養殖技術が、徳川の末期から明治の初期にかけて付近の農家に伝えられ副業となり、水利の便の地の利を得て養殖が盛んになり日本の主要産地となった。 太平洋戦争中は金魚の養殖は中断したが、平和共に復帰して、昭和40年代高度成長共に発展し養殖面積80ヘクタール、養殖業者百数十戸、年間1億2〜3千万尾の金魚が生産されて全国の50%のシェアをしめ全盛期を迎えた。しかしオイルショック後不景気や都市化、後継者不足も伴い年々衰退している。





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郡山金魚資料館 -(有)やまと錦魚園
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